「与えられる」人生と「創る」人生

文章を書きたい。

 

なぜかは分からないが、ひたすらに文章を書きたい。

 

内発的動機というのはこういうものなのだろうか。

 

頭をフル回転させて創造的な仕事をする10年と、与えられたことだけを受動的にやる10年を送った人間の間にはどのような差が生まれるのだろう?

 

体の内から湧き出るような衝動にかられ、素直にそれに従い創造力を発揮する人間と、仕事も給料も消費財も動機も全てを「与えられて」生きている人間はどのように違ってくるのだろう?

 

私はこの10年を使って実験をしてみたい。

 

読書というのは受動的行為である。

人が書いた文章を目で追い、頭で理解することがその仕事である。

 

しかし、文章を書くこととなるとこれは創造性ある仕事である。

 

自分の頭にあるものを言葉にして紡いでいく。

 

なんという言葉をどのように繋げていくかは全て書き手に委ねられている。

 

これは読書という行為とは一線を画する。

 

読書によって人間の中で様々な内的変化が起こる。

多様な考えや思想を頭に通すことで彼/彼女の精神構造が変わってくる。

 

それがある程度まで煮詰まってくると、文章に吐き出して表現したいという衝動にかられるのではないか。

 

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