リーダーの本質

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優れたリーダーとは他人をまるで自分かのごとく扱う人間である。

 

世人のほとんどがここにとどまっている「自分はこうしたい」という自我の領域を超越している。

 

彼/彼女がそうかどうかは、その人に相談事を持ちかけさえすればわかる。

 

人から相談を受けた時はその相談相手がどうしたいのかを最優先とし、彼/彼女の願望を実現するための具体的な策を自分がこれまで培ってきた全ての知識・経験・知性を最大限に活用して提案する。

 

そこには「他人から相談を持ちかけられるほど優れた自分」が感じられない。

 

「相談者よりも高い位置にいる自分の正しい意見を押し付けたい」という臭みもない。

 

まるで自分自身のこれからの人生について真剣そのものと言うべき態度で考えているかのごとくである。

 

このような対象として考えられるものの範囲が広がれば広がるほど偉大なる先導者となる。

 

はじめは両親から始まり兄弟姉妹、親族、親しい友人や恋人などからとなるのが通例であろう。

 

こういった身近な人を思わずして地球の真裏にいる人達がどうのこうのと言うのには必ず嘘が含まれている。

 

目の前にいる人を思わずに「世界の貧困が」「戦争が」「差別が」などと語るのは、その渦中にある人々を思ってのことではなく「貧困」「戦争」「差別」といった「概念」に対する反抗である。

 

ここからは人が忘れ去られている。

 

人が忘れられているのだから、この種の人間が多くの人を率いる先導者となることはないだろう。

 

身近な人に対する思いが最初にあり、それが広がっていくことで次は例えば同じ地域の人間、所属する組織の人などを思うことができるようになる。

 

これがより拡大することで同じ郷里の者、同じ信仰を持つ者、信仰は違えど同じ民族の者、信仰も民族も異なるが同じ国の者といったように対象が広がってくるのである。

 

これが最後には人類、そして全ての生きとし生けるものへとたどり着くのである。

 

もし全ての生きとし生けるものを我が身のごとく思えるのであれば、この世にまれに見る先導者となることだろう。

 

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